東京高等裁判所 昭和34年(う)579号 判決
被告人 安孫子昭
〔抄 録〕
所論は原判決が、公訴事実第一、第三、第四について被告人の所為は未だ詐欺の実行行為に着手したものとは認められないとして、無罪の言渡をしたのは、事実を誤認し、法令の適用を誤つた違法があると主張するものである。
よつて所論により本件記載を調査し、並びに当審における事実の取調の結果に徴すると、被告人の原審及び当審における供述、原審証人高野栄治、菊地新一の各供述、高野栄治、菊地テル、井田昇、桜井やすの司法警察員に対する各供述調書、菊地新一、大森美雄の検察官に対する各供述調書検察事務官仲山昭二作成の電話聴取書を総合すれば、被告人は昭和三十三年八月頃から理髪業大森美雄方に職人見習として住み込んでいたものであるが、同年十二月頃までに約二万円の借財を生じ、その返済に苦慮していたところ、同年十一月頃偶々犯罪史と云う書籍を読み、その中に日本電信電話公社社員を装い電信電話債券証書を騙取した犯罪に関する記事があつたところから、その手口を模倣し、自らも同公社の社員のように装い電信電話債券証書の盗難防止のため債券証書に番号を入れる等と称して電話加入者を欺罔し右債券証書を騙取しようと企て、その頃日本電信電話公社北関東地区観察員小林光一と印刷した虚偽の名刺を作成させた上、これを持つて公訴事実第一乃至第四記載のように四回に亘り有限会社マルエス繊維商会外三箇所において高野栄治、菊地新一、同テル、井田昇、桜井やす等に対し、「日本電信電話公社社員であるが、電話債券を不正に売買している事実があるから調査に歩いている、電話債券を見せて貰いたい」等と申入れ、右債券を呈示せしめた上、盗難防止を口実として右債券を寸借名義で騙取しようとしたが、菊地新一方以外の三箇所では相手方が右債券を持つていなかつたため、また菊地新一方では、菊地新一及び妻テルから原判決有罪部分認定のように右債券証書三枚を提示されたので、更に「盗難を防止するため公社を通じなければ売買できないよう債券の裏面に一連の番号を入れて来るから一寸貸して貰いたい」と申し向けたが、その後同人等と話を交しておる内犯意を飜して、「後刻また来る」と云つて立ち去つた為いずれも所期の目的を達しなかつたことが認められるのである。
しかして原審は右菊地新一方以外の三箇所における被告人の所為(公訴事実第一、第三、第四の行為)について、「被告人の右各虚言行動は各相手方より前記証書の閲覧の機会を得るための方法を作出する行為にとどまつただけで、いまだこの段階においては社会通念上その行為の進展が必然相手方をして財物の任意の交付に出でしめる結果を招来するに足る行為をなしたものとは認め難いことは明らかである。即ち通常の場合被告人の右各虚言行動より更に進んで各相手方をして財物につき任意の交付に出でしめる結果を招来させるに足る行為……例えば少くとも『証書の裏面に一連番号を付する必要があるから一時貸与されたい』との趣旨の虚言を弄するなど……があつてはじめて詐欺罪の構成要件たる欺罔行為が開始され、実行の着手があつたものと云うべきであつて、この点について他に何等の証拠の認められない本件においては、被告人の以上の各虚言行動は、詐欺の実行行為を開始するために必要な準備行動をとつたに過ぎず所謂予備の段階にとどまつたものと云うべく、これを以て詐欺の実行に着手したものとは認めがたい」としていずれもこれを無罪としているのであるが、被告人が前記三箇所において高野栄治、井田昇、桜井やす等に対し、電信電話公社社員であると詐称して電信電話債券証書を見せてくれと申し向けたのは、被告人が犯罪史なる書籍により右債券が無記名式で譲渡が自由であることを知り且つ電信電話公社の社員と称して右債券を騙取する手口を知つていたこと、並びに右債券を不正に売買している事実があるから調査に歩いていると云つて債券の呈示を求めた上、更に盗難防止のため公社を通さなければ売買出来ないように証券の裏面に一連番号を入れて来るから暫く貸して欲しいと云つてこれを交付させてこれを騙取する目的であつたことから見て、右債券騙取のための一連の行為の一過程と認められるのであり、且つ、前記証拠中の電話聴取書(電々公社営業課佐藤某の検察官に対する電話回答)によれば、宇都宮市では大体五千番台の電話から強制的に電信電話債券を引き受けさせていること、原審証人高野栄治の供述によれば、被告人は高野栄治に対し六千台の電話なら電話債券をもつているだろうと云い電話について非常に詳しい話をしていたこと、被告人が赴いた電話加入権者はいずれも六千台以後の電話番号を有する加入権者であつたことからすれば、被告人の前記行為は、原判示のように単に詐欺の実行開始に必要な準備行為に止まるものとは認められず、被告人の右行為により、被告人の詐欺の意思は明確に表明され且つ相手方を欺罔して財物を騙取すると云う法益侵害に密接した行為に外ならないと認められるのであるから、詐欺罪の実行行為の着手があつたものと認めるのが相当であり、判示のようにこれを以て未だ犯罪の実行の着手には該当しないものと解すべきではない。この意味において原判決は被告人の行為に対する法的評価を誤つて事実を誤認し、ひいて法令の適用を誤つた違法があるものと云うべく、従つてこの点に関する論旨はいずれも理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所において更に判決することとする。
(控訴趣意第三点は原判決の量刑不当を主張するものであるが原判決の量刑の当否は左記当裁判所の判断により明らかであるから、これに対する判断を省略する)。
当裁判所の認定した事実及びこれに対する証拠は左のとおりである。
被告人は借財の返済に窮していたところ偶々犯罪史なる書籍を読み、日本電信電話公社発行の電信電話債券は無記名式であつて、右公社社員と詐称し、同債券の盗難防止等を口実として電話加入権者より右債券証書を寸借名下に騙取し、多額の利得を収めた犯罪の事例があることを知り、自ら同様の手段方法により電話加入権者を欺罔して右債券証書を騙取しようと企て
第一、昭和三十三年十二月二十六日宇都宮市宿郷町百七番地靴下卸商有限会社マルエス繊維商会において同会社代表取締役高野栄治に対し日本電信電話公社北関東地区観察員小林光一と印刷した名刺を示し「自分は電々公社の観察員であるが、電話債券を不正に売買している事実があるので調査に歩いているからお宅の電話債券を見せて下さい」と申し向け同人を誤信させて右債券を呈示させた上盗難防止等を名とし寸借名義でこれを交付せしめて騙取しようとしたが、同人が右債券証書を所持していなかつたためその目的を遂げず
第二、前同日同市同町五十三番地建築業菊地新一方において同人及びその妻菊地テルに対し前同様の名刺を示し、前同様に申し向けて、菊地新一から電信電話債券三枚(額面一万円券二枚及び五千円券一枚)の呈示を受けた後「電々公社を通さなければ売買できないように同債券の裏面に一連番号を入れてくるからそれまで一寸貸してほしい」と申し向け右債券証書を騙取しようとしたが、同所で引き続き雑談中自己の意思により右犯行を中止して右債券を受け取らないで同人方を辞去し、
第三、同日同市押切町八百六十三番地丸安飲食店こと井田昇方において同人に対し判示第一と同様に申し向けて同人を欺罔し電信電話債券証書を騙取しようとしたが同人が右債券証書を所持していなかつたためその目的を遂げず
第四、同日同市同町八百三十七番地好野飲食店こと桜井やす方において前同様申し向けて同人を欺罔し電信電話債券証書を騙取しようとしたが同人が右債券証書を所持していなかつたためその目的を遂げなかつた
ものである。
右事実は前記控訴趣意第一、二点に対する判断中に揚げた各証拠を総合してそれぞれこれを認めるに十分である。
法律に照らすと被告人の所為は各刑法第二百五十条第二百四十六条第一項に該当するところ第二は中止犯にかかり、その他はいずれも未遂犯であるからそれぞれ同法第四十三条但書、同条本文第六十八条第三号により法定の減軽をなし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役十月に処することとする。なお訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により被告人に負担させない。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(坂井 山本長 荒川)